自分もふれあいに
関わりたい
秦梨に生まれ、秦梨で育った、生粋の“河合の人”。
その穏やかなまなざしと、やわらかな笑顔は、地域の誰もが「ようちゃん」「がまちゃん」と親しみを込めて呼ばれる理由です。
洋二さんの人生は、幼い日の別れから始まりました。
3歳のとき、最愛のお父さまを亡くします。
手元に残ったのは、教師だった父の教え子たちからの手紙。
三歳の自分には、父の記憶はほとんどありませんでしたが、その手紙を通して教壇に立ち、子どもたちに笑顔を向ける父の姿を想像していました。
「自分も、いつか人と関わりたい」
その思いが、教員を志す原点になりました。
そしてもう一人、心に刻まれた存在がいます。祖父です。口ぐせはいつも同じ。
「人間、怒ると血が腐る。やさしくていいんだよ」。
その言葉は、悲しみを抱えた幼い心に、やさしい灯をともしました。やがて教師となった洋二さんは、子どもたちに寄り添うとき、必ずその言葉を胸に思い出したといいます。
長年の教員生活を終え、地域の総代を務めるようになったとき、耳に入るのは「人口減少」「防災の不安」など、暗い話ばかり。ふるさとの未来に影を落とす現実に、胸が締めつけられました。
「このままでは、河合が消えてしまう」。2012年、世の中で「消滅集落」「限界集落」という言葉が叫ばれたころ、河合もその一つになるかもしれない、と痛感しました。「出遅れたかもしれない。でも、まだ遅くはない」。そう信じて立ち上げたのが、この河合プロジェクトです。
「2050年も、この街がしっかりと息づいていてほしい。子や孫たちが、笑顔で集えるふるさとであってほしい」。
その言葉を口にするとき、洋二さんの声には深い想いがにじみ、聞く人の胸にも温かい響きが広がります。その願いこそが、彼の歩みを支え続けているのです。
一方で、洋二さんにはもう一つの顔があります。それは、自ら調べ、記録し、文章にまとめる人。地域の歴史や家族のルーツ、日常の出来事までも、時間をかけて丁寧に記録し、後世に残そうとしています。
「学びを形に残すことは、人をつなぎ、未来を守ること」。その営みは、まちづくりへの想いと深く重なっています。
幼い日に失った父への想い、祖父のやさしい言葉、そして子どもたちに注いできた長年の愛情。すべてが積み重なり、いま“河合の未来”を支える力になっています。
蒲野洋二さん――。
その人生そのものが、河合を守る灯火なのです。